川越のご紹介
当店のある川越は、年間で観光する人が400万人もいらっしゃいます。ここではそんな川越を少しずつご紹介します。

右の写真は川越のシンボルタワーにもなっている「時の鐘」です。蔵づくりの町並みの一角にあり、毎日6時、12時に鐘が鳴ります(もちろん自動です) 。

明治37年寄贈の鋳物の天水桶
鋳物の天水桶 神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社の本殿の脇に昔の川越の商人が寄進した、鋳物の天水桶があります。この天水桶の大きさもなかなかですが、かなり山の上のこの場所まで運びあげたことに感心しました。

左の写真が本殿の脇の天水桶です。桶の裏面には「明治37年4月」の右側に「川越住鋳物師 小川五郎右ヱ門作」とあります(写真)。ここは川越でも名門の老舗で、お台場の大砲も作っていたそうです。但し、格好だけで実際には発射できなかったそうです。ちなみに、ここの息子さんはうちの娘と同じ幼稚園でした。
また、武蔵国入間郡川越町と書いてあるところから名前で4番目に山久のご先祖の高山久兵衛の名前が書いてあります(写真)。

川越の隣の日高市の高麗神社と聖天院
日高市 よく考えてみると、聖徳太子の時代の仏教伝来は高句麗の僧によるものだったのですね。飛鳥時代はロマンの時代です。日本の政治家が参拝祈願した後、総理大臣になるという
ジンクスがあったと書いてあります(出世明神) 。その下4つは聖天院(今は真言宗です)、入り口、門、本堂、庭となっています。門は雷門の提灯が吊ってありました。

聖天院奥の慰霊塔と古代朝鮮の偉人たちの石像(写真)や聖天院の由来の看板(写真)なども立っています。この慰霊塔は在日韓国人の無縁仏の霊を慰めるもののようです。

おいしいうなぎ屋「小川菊」と人力車の「川越陣力屋」
おいしいうなぎ屋「小川菊」と陣力屋 小売部のある川越の大正浪漫夢通りに、私が「日本一おいしいうなぎ屋」だと思っている「小川菊」さんと、人力車で川越めぐりができる「川越陣力屋」さんがあります。

「小川菊」さんは創業100年以上、川越内では一番古いうなぎ屋さんです(川越には創業100年以上のお店が100件以上もあります)。週刊新潮でエッセイを書かれていた故 山口瞳さんや青山にブティックをお持ちの小瀬チエさんもここのファンだったようです。主なメニューは、うざく・やながわ・うな重・お酒です。2階で宴会をやる時など、予約に限ってお刺身などを出してくれる事もあります。定休日は木曜日(TEL:049-222-0034)。

「川越陣力屋」さんは20分1,500円の菓子屋横丁コースなどの色々なコース、プランがあります(TEL:049-225-1015)。

川越喜多院のダルマ市
川越喜多院のダルマ市 毎年お正月の3日は川越にある喜多院の初大師です。初詣とダルマを買いに近隣から何十万人もの人がやってきます。また、お正月らしさの絵がとれるのでテレビにもよくでます。普通の人はダルマ屋さん(群馬の方の農家の人が農閑期に作っている場合が多い)とやりとり(価格を交渉)しながら買います。山久でも毎年特別注文の名入のダルマを買っています。

喜多院には徳川家康から家光まで3代に仕えた天海僧正がいたので、江戸時代に火事にあったとき将軍の特別のはからいで江戸城からここに建物を移築しました。ということでここには徳川家光誕生の間とか春日の局化粧の間があります。喜多院に隣接して成田山の別院があります。 ここにも初詣の人がずいぶんときています。 ここの池には亀がいますが、子供の頃に聞いた話では近在の農家の人が田んぼなどで亀を見つけるとここから逃げてきたと言い、捕まえててつれてくるということでした。

川越に来て是非食べて頂きたいのがしょうゆをつけた「焼きだんご」。1本30円から70円までいろいろな値段で売っています。味もいろいろです。このだんごやさんは60円と消費税ですがおいしいですよ(NTTそば)。

川越喜多院 松平大和守墓所と五百羅漢
川越喜多院 松平大和守墓所と五百羅漢 川越の名所で徳川家光誕生の間があるので知られる天台宗の名刹「喜多院」があります。 今回、普通の観光客があまり立ち寄らない本堂の裏にある松平大和守墓所(大名のお墓ってあまり見たことがありませんよね?) と手前にある五百羅漢(下の写真にちらっと写っていますが、お酒を酌み交わしている姿など色々な表情の羅漢さんがあります)をご紹介します。
この五百羅漢さんにはこのような言い伝えがあります。闇夜に喜多院へ行き、いくつもの羅漢さんの頭をなでてみると一つだけ生温かいのがあります。そこにチョークで印をつけ翌朝その羅漢さんを見に行くと、亡くなった自分の肉親にそっくりの姿になっている…というものです。一度試してみるのも良いでしょう。

源義経正室の父親 河越氏の館跡の常楽寺
源義経正室の父親 河越氏の館跡の常楽寺 NHKの大河ドラマで紹介された常楽寺。義経の正室は静御前ではなく河越氏の娘です。当時の北関東の有力武士で頼朝の御家人でした。今回、先週のNHKの大河ドラマでここが紹介されたので、はじめて取材にいってきました(通勤途中にあり目の前が私の息子が通った幼稚園です)。
河越氏は義経の縁者ということで、頼朝に疑いをかけられ討伐されたようですがその後、疑いが晴れて許されたようです 川越のパンフレットによるとドラマの筋書きと違って、子どもを数人つくり平泉まで同行して、ともに自害したことになっています。ここは、川越の市街地からは離れているのでわざわざ訪ねるのは大変だと思います。河越氏のゆかりの地と思うのであれば、市内の菓子屋横丁の
隣の養寿院にある河越太郎重頼のお墓が良いと思います。

川越まつり
川越まつり 2004年は旧市街地(蔵作りのある所)に祭り会館ができ、2005年には川越祭りが国指定の文化財に指定されたため、賑わいが増し、かなりの数の山車が勢ぞろいしました。この中でも、「志義町」の山車は川越市の山車の中でも有数の山車です。この山車が20数台もでる川越祭りは神田明神の祭りの流れを汲む数少ない江戸情緒の面影を残す催事として大変な人気があります。山車の舞台でひょっとこが踊ります。このお囃子の乗っている山車の舞台でひょっとこ、おかめ獅子などいろいろな役で踊ります。また、山車と山車が拍子と踊りで対抗します。他の山車の舞台にもひょっとこが踊っていて、舞台の踊り手と拍子とお互いが引き込まれたら負けという勝負(引き交わせ)をやって盛り上がります。負けると道を譲らなければならないという決まりもあります。

また、各町内の山車にはそれぞれの町のシンボルとなるな人形が載っています(例:太田道灌、信綱、鏡獅子など)。それを三層の一番上に掲げて、子供・若者・壮年の人々が綱を引きます。志義町の山車は「羅陵王」が頂上に乗っています。この羅陵王というのは、中国の武将です。羅陵王は美男子すぎるという理由で、戦中では恐い面をつけて戦ったといわれています。

子供たちも着飾って山車の綱を引き、終わるとお菓子がもらえるので大喜びです(みんな白粉を塗ったりして可愛らしいですよ)。

河越太郎重頼の墓の紅葉と菓子屋横丁
河越太郎重頼の墓の紅葉と菓子屋横丁 河越太郎重頼は鎌倉時代がはじまる黎明期の武将です。皆さんは源義経と静御前のロマンスは聞いたことがあるでしょうが、静御前は白拍子出身の側室、正式な奥さんは頼朝が縁をつないだ河越太郎重頼の娘です。平泉まで義経とともに逃亡して一緒に果てました。そして、頼朝が義経に疑念を抱いて討伐に乗り出した際、河越太郎重頼が義経の逃亡に手を貸していると思い(実際は無実)、この武将は頼朝によって討たれたのです。 ということは鎌倉時代のお墓。その周りを飾るのには、もみじ・イチョウがふさわしいのかもしれませんね。観光地としても名高い川越の隠れた観光名所です。
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